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近況ノート No.101〜110


No.110 (2000.2.20)

 2/13にあ〜るさんと新潟空港まで飛行機の写真を撮りに行ったとき,寒いところにいたせいか風邪が治ってしまった・・・逆療法か(^-^;;

 先週は定期試験があり,また昨日(2/19)は新大で修士の発表会など,一年のまとめの時期にさしかかってます.今週の2/22(火)は,うちの学校で専攻科の発表会.ってことで,ガンバレ!うちの学生


No.109 (2000.2.12)

 2/6に新潟空港まで飛行機の写真を撮りに行った時に風邪をひいたらしい・・・(^-^;;

 今日のNHKスペシャルでリサイクルの話が取り上げられていました.そして,新潟市のプラスチック油化工場も出てましたが,新潟市で出る7500トンのプラスチックゴミのうち,30%が不適格で埋め立て処分・20%が燃えカスで,残り50%が油になるが,そのうち80%が自家消費で消え,結局最初のゴミの10%しか製品にならないとのこと.ゴミの選別の過程を見ていて,ゴミを出すとき,もう少し分けないといけないかなって思いました.あうあう・・・(^^;

 (2000.2.13加筆) 風邪をひいたからこりたはずの冬の撮影.しかし,それはあ〜るさんからの一本の電話によって,180度転換(笑. 今日は,あ〜るさんが新潟空港に飛行機を撮りにきたんだけど,一緒にどう?というので,久々に会えると思って喜んでOKしました.集合地点のこちら側からの指定がやや不足していて,あ〜るさんが新潟に着いてから実際に会うまで1時間ぐらいかかってしまいましたが,なんとか会えました.よかった(^▽^ で,空港まで行って一緒に飛行機の撮影.ロシアからのTu154などを撮影できて,あ〜るさんはご満悦の様子でした.


No.108 (2000.2.5)

 今週,このホームページもついに2万の大台を突破しました.これも,ひとえにいつも見に来て下さる皆様のおかげです.深く感謝申し上げますm(_ _)m

 で,今日は映画を2本,「シュリ」と「雨あがる」を観てきました.感想は掲示板にあらすじも含めて書いてあるので省略します.

 ところで,1月から通算で4本観た計算になります.おかげでサイフがだいぶ寂しいです(^-^;; でも,にいがた国際映画祭も見に行きたい〜.だって「踊るマハラジャ」で有名なラジニカーントの作品や,「シュリ」で主役を演じたハン・ソッキュが出演する「ドクター・ポン」など話題作が目白押しなんだもん.あうあう〜(^^;

 ついでに,思ったことも書いておこっと.今こうやってネットに接続してるけど,ネットサーフィンしたりBBSのレスを書いたりPCでお絵描きしているせいで,最近 テレビのスイッチを入れることが少なくなった気がします.ニュースはラジオを聞いたりgooやyahooを見てれば最新のは分かるし,より正しく詳しいのは1日遅れだけど新聞をじっくり読めば書いてあります.でも,最近のCMやワイドショーはテレビでないとだめなので,話題についていけずチンプンカンプン(×_×).歌のヒットチャートもさっぱし見聞きしてません.


No.107 (2000.1.30)

 今日は,私の誕生日です.この前,誕生日が来たと思ったら,もう1年経ってしまいました.はー,あと1年で大台突入です.月日の経過は残酷ですね.ここは,宇宙戦艦ヤマト風に「大台突入まで,あと365日」の方がまだ笑えるんで良いかな(^-^;;

 そこで,誕生日記念というわけではないですが,「自己紹介」に作者近影を付けてみました.私に会ったことがある人なら,見て笑うかもしれません(笑

 話題は変わりますが,昨日の新潟日報の3面で「再燃した”日本海”呼称問題・・・北東アジア経済会議」って記事がありました.先日,新潟市で県,市,環日本海経済研究所(=エリナ)の主催で北東アジア経済会議ってのが開かれました.私の知り合いがエリナに勤めているので,興味を持って記事を眺めてみたのですが,「日本海」の呼び方が原因だけに困った問題ですね.

 私達が「日本海」と呼んでいる海は,韓国では「東海」と呼ばれているそうです.朝鮮半島から見ると東にあるから当然ですね.それ以外に,英語では「Japan sea」,ロシア語では「Японское море(イポンスカヤ モーリヤ:モスクワ方言)」,(中国語の普通話のは知りません(^^;)などなど.そして,近年韓国政府が国連の「地名に関する専門家会議」に日本海の呼称を変更するよう提訴しているんだそうです.それはそれでいいんだけど,その影響で韓国代表が韓国政府からの通達で,会議後も活動する組織委員会への参加を取りやめたとのこと.いくら提訴中とはいえ,参加しないのは,ちとやりすぎなんでは(-_-;; 

 しかし,環日本海経済圏構想は日本・韓国の技術,中国東北部・シベリアの天然資源を組み合わせて発展していこうという発想で始まったモノで,「日本海」の呼称がもとで韓国が参加できないのはまずいです.なにか有効な解決策はないんでしょうかね? 日本と韓国どちらも納得する呼称があればいいのですが,すぐは無理でしょう.だから韓国が参加の条件としているように,エリナや環日本海新潟賞の名称に「東海」を併記して,韓国政府からも口だけでなく,スタッフと資金を出してもらうのが一番だと思います.エリナと県は「固有名詞だから外国から指摘されて変える性質のものではない」と変更に消極的なようですが.・・・・でも併記にすると,2002年W杯の名称を決めるときのように,どちらを先にするかでもめるかな? W杯の件で韓国の人が”名実”の”名”の方を重視する民族だということがよく分かりました(^-^;; 


No.106 (2000.1.23)

 先週の後半に積もった雪がまだ市内のあちこちに残ってます.私の住んでいる辺りだと,まあ2,3cmぐらいしか積もらなかったので,普通の靴で通勤できました.私の実家の方だと,短い靴なんか履いていったら「おめえ,雪国なめてるろ?」と言われるのがオチなぐらい積もってますからね.たった80kmでもそれぐらい違うということで.あはははは(^-^;;

 土曜日の夜にNHK教育で「日本・映像の20世紀」という番組でうちの県が出ていたので,お絵描きの手を休めて見入ってました.新潟ってやっぱり雪国なのねってぐらい,雪の映像が多かったですね(^^; 上越の方でしょうか,近所の人が助け合って身の丈もあるような雪を除雪している様子が写っていました(昭和初期ぐらいの映像).もっとも,これぐらい雪が積もるから新潟は水が豊富なのですが. 数年前に新潟でレオロジー学会が開かれたとき,飛行機で来られた方が「上から見ると,信濃川や阿賀野川などの大きな川が流れていて,ホント水の国って感じですね」っておっしゃてたのが印象に残ってます.

 ところが,その豊富な水が時としてたびたび洪水を起こして,信濃川下流域で大きな被害を出していました.20世紀に入る直前の”横田切れ”をきっかけにして大河津分水が掘られ,それ以後は大きな洪水は無くなりました.あの分水がなかったら今の新潟の発展はなかったでしょうね.新潟市近郊の亀田郷の辺りは沼地のようになっていて,胸まで泥につかりながら田植えをしている様子が記録に残ってました.この「芦沼」という記録映画は,えーと,高校の時だったかに見たことがあります.太平洋戦争終了後,大きな排水機場が造られて,乾田化が進められました.

 一方,魚沼地方というと,今では,日本一おいしいといわれているコシヒカリの産地として知られていますが,そのコシヒカリが広がっていく過程も映像に残ってました.秋の深まりが早い山間地に適した早稲品種としてつくられたコシヒカリ.これまでの質の低く「鳥またぎ米」とさえ言われた新潟米の評価を変えるべく産み出されただけあって,粘りけがあって冷めてもおいしいという長所の反面,倒れやすいという欠点があったので作りにくい品種だったとのことでしたが,肥料の量をを工夫することで乗り切りました.ただ,そのノウハウをつかんで安定した収穫を得るまで十年の月日を要したそうです.

 そして各地で米作りが軌道に乗り始めた頃,米が余るようになって減反がスタート.農協の青年部の人たちが田植えを強行しますが,結局,国の政策に抗議する意味をこめて行政や報道機関の人々が見ている前で青刈りをすることに.自分たちの植えた稲をトラクターで踏みつぶしていく様子が映像に残っていました(;_; ・・・・食料の自給率を上げるために,米だけでなく他の農作物も商品として成り立ち,農家の生産意欲が出るような農政が必要な気が.とか口で言うのは簡単だけど,農家でも農政担当者でもない私にはいい方法が思いつきません(-_-;;

 ちょっと前まで「新潟県は米作りに適した地域だから,もっと米作りできるといいのに」という”適地適作”な考えを私も持ってました.お金になる米だけ作ってればいいという考えだと,それこそ永田町の政治家や官僚の思うつぼだし.だから「米モノカルチャー経済」ってあんまし良くないなと最近思うようになりました.また農業だけではなく工業も盛んにしていかないといけないので,我々工業系の人達も頑張らなくてはいけないのですが,私のやってる事って基礎的な物性の研究だから,即それが実用に結びつくようなことでないんですね〜あ〜( ̄▽ ̄;;  でも「基礎的研究」って,すぐ成果が出るものではなく,おいしい果実をもぎ取るまで時間がかかります.これからも基礎的なことは大事なことなんですけどね.(だいたい,私には起業家として事業を興せるような度胸も才覚もないしね(滝汗 ) 

 「映像の20世紀」を通して,いろいろ考えてしまったのですが,なんかまとまりが悪い文章ですなあ.うん


No.105 (2000.1.16)

 問題の「ブレア・ウィッチ.プロジェクト」(以下BWPと略す)を観てきました.ここから先は内容にふれているので,これから観る人は読まない方が良いです.

 BBSの方でも書きましたが,映画学校の学生3人が映画製作のためブレア・ウィッチの伝説の森に入って行方不明になって,1年後に発見されたフィルムを編集して,失踪までの経過を追ってみたってのがこの作品の設定(実話ぽく作られてますが,もちろんフィクションです)です.本場のアメリカの方では大いに話題になったそうですが,全部観終わって,私にはこの作品がたちの悪い冗談としか思えませんでした(・・・・「じゃー,見に行くなよ〜」とツッコミが入りそうですね(^^;

 BWPはオフィシャルサイトが開設されているので,それを見て予習していったせいか,怖がりな私でもそんなに怖くなかったけど,ハンドカメラのガタガタの映像をつなげただけだと,映画館の大画面で見るとジェットコースターに乗っているときのようで気分が悪くなってきます(@_@; 設定上しょうがないことだし,あれも映画の手法の一つなんだろうけど,あれが2時間近く続くのだと勘弁して〜って感じ(涙.

 森の中で道に迷った彼らは何回も川を横切ってますが,川に沿って下っていけば釣り人に出会って助けを求めることができたし,最悪遠回りになってもなんとか森から抜け出せたはずです.地図は1枚しか持って行かなかったようですが,町で準備したときコピーして配っておけば良かったのに.あと,3人のヒステリックな内輪もめは,見ていて正直疲れました.よくもまあ,あそこまでののしり合うことができるものだ(-_-;; 結末もすっきりしなかったです.結局,道に迷って疲労困ぱいする中で見た幻覚で3人のうちの一人が発狂して残りの二人をのしたあと森の中に消えていったのか,ホントに”魔女の呪い”だったのか(笑),それとも3人が映画で名前を売るために仕掛けた悪ふざけだったのか,納得のいく自分なりの答えを見いだしてません.欲求不満が残る映画でした.

 科学の発達した現代でも,深い森の中には得体の知れない神秘的な何かがあるから,うかつに「森に入ってはいけない」ということですな.この作品についてあとでまた考えが浮かんだら,加筆するつもりです


No.104 (2000.1.8)

 No.103の更新が済んだ後お絵描きをするつもりでしたが,天気がまあまあ良くなってきたので,予定を変更して映画を見に行ってきました.”デッキー401”の中にある映画館で初めてでしたが,わりかし分かりやすい所にあって良かったです.JR関屋駅からそんなにかからなかったし(^^;;

 で,何を観たかというと,研究室の映画好きな学生の勧めもあって,前から観たいと思ってた「海の上のピアニスト」でした.ヨーロッパとアメリカの間を往復する豪華客船で生まれ,船を一度も降りることのなかった天才ピアニスト(1900年生まれだから,1900=”ナインティーンハンドレット”と名付けられた.ダニー・ブートマン・T・D・レモン・1900がフルネーム)のお話です.時間の経つのを忘れてしまうほどストーリーに感情移入しまい,あっという間の2時間で,観終わって涙がポロリと出てしまったいい話でした.

 世の中には「エヴァ」や「BWP」のようにテレビの特番やHPを見て予習してからでないと分かりにくい映画もありますが,やっぱり映画ってそれ自体で完結してなくちゃ! ちなみにイタリア=アメリカの合作で,ハリウッド映画のように「感動せい!!」と力で押しまくられるのと違ってて,ちょうど「ライフ・イズ・ビューティフル」みたいな感じでした. ピアノの演奏も見物ですので,もし機会があったら,ビデオでなくて音の良い映画館で観てみて下さい.


No.103 (2000.1.3)

 2000年最初の「近況ノート」(笑

 12/31〜1/2の間,帰省してました.1/1は,2000年にコンピュータが誤作動を起こす,いわゆる”2000年問題”の厄日だったわけですが,大きなトラブルもなく無事に過ぎました.これも影でコンピュータ社会を支えるシステムエンジニアやプログラマの皆様のおかげです.感謝(ー人ー

 でも,2000年問題はまだ終息したわけでなく,これから数ヶ月は小さいトラブルがポツポツと起こるでしょう.まずは仕事始めの1/4です.何も起こらないことを祈りましょう(^^;

 ところで2000年問題と全然関係ないけど,笑い話が一つ.私が12/31に帰省する直前,駅まで迎えに来てもらおうと,実家に電話しましたが全くつながりませんでした.通話中かな?と思って,途中の乗り換え駅でまた電話してみましたが,また通話中.電車が出る直前にもう1回電話するものの,またダメ.1時簡に3回かけてつながらないので,私はこう考えました.
  1)実家の受話器が外れている(ありがちなパターン.
  2)実家の誰かが長電話している.たぶん名古屋の叔母とだろう.
  3)実家の電話機か電話線が壊れた(これもありえそうだ
  4)実は,両親が私に内緒でインターネットを始めた(笑
  5)2000年問題がもう起こったか!?

4)と5)は普段だと思いつかないけど,Y2Kのことが話題になっている昨今だからこそ思いついたのです.電車が終点に着いて,家に電話してみると今度はつながりました.話を聞いてみると,どうも3)が正解だったらしいです(^^; 数日前,実家の裏の桐の木を切ったときに,家の裏のお宅の人が電話線を一旦外して,木を切り倒してから,また繋いだとのこと.その時は繋がったけど,12/31になってから強い風が吹いて線の接続が取れて家への回線がつながらなくなったのでしょう(苦笑
 結局,その日のうちにNTTの人が来て行って直していったようです.「このY2Kで忙しい時期に人騒がせな! もう!」とNTTの人は思ったことでしょう(^^;;;;

 でも,4)だったら,とっても面白かったなあ(^^

 あと,それからもう一つ.ロシアのエリツィン大統領.突然首相を解任したり,首脳会談をすっぽかしたりするなど,前から”びっくり箱”みたいな政治家だと思ってましたが,1999年の最後の最後でまたやってくれました.突然の辞任のニュースは驚きでしたね(^^; プチン大統領代行は内務官僚出身のせいかテレビで見ると冷たい感じが.ロシアが昔のソ連に戻りませんように.

 (2000.1.16加筆) 上では”冷たい感じ”と書いてますが,”冷静”と言った方が正しいかも.KGBのスパイだったそうで謎の多い人物です.その後のニュースや新聞を見ていると,この交代劇の裏には前大統領も含めた側近達の不正疑惑を隠す目的があったと言われており,また前大統領が辞任後も影で影響力を行使する「院政」を敷くとの観測もあります.どちらにしても,民族主義が台頭してきている現在のロシア国内の状況では,北方領土の返還は無理でしょう.川奈での橋本−エリツィン会談で,橋本首相(当時)が「返還はOKか?」との問いに前大統領が「ダー(OK)」と答えたのを側近が「それはまずいっしょ?大統領」と止めてなければ,返還は実現していたかもしれません(涙


No.102 (99.12.31)

 1999年最後の「近況ノート」

 公私ともども多忙だった1年もあと,9時間弱で終わろうとしています.”2000年だから自衛隊の制式装備は0式なんだろうか”とか,いろいろバカなことを考えながら実家に帰る直前まで大掃除していました.
 掃除が終わってピカピカの換気扇や流し,トイレを見ながら,この達成感を味わうために毎年忙しい時期に掃除をやるんだなあと,一人悦に入ってました( ̄▽ ̄

 それでは,皆様良いお年を迎えて下さい.

 ...あっ,電車の出る30分前だ.急いで仕度をしないと! ひ〜ん(^^;


No.101 (99.12.26)

 今日も入れてあと6日で2000年.ネット用の年賀CGを今描いている途中いまだ年賀状を書いてない(^^;(注:12/26PM1時現在) 毎年年賀状をポストに投函してから「来年こそは!」と決意するのですがねぇ〜.ぎりぎりになるまでやらないのは小さいときからの性格なんで,しょうがないでしょう.ほら,「三つ子の魂百まで」ってよく言うじゃないですか(笑

 ところで,コンピュータ2000年問題(Y2K問題)への対応は,みなさんお済みでしょうか? 私は,PCの日付を2000年の1月にして1時間ぐらい遊んだことが2回ありましたが,そのときはなんとも起こりませんでした. だから本番は大丈夫...なつもりですが,家の外では何が起こるか分からないのでちょっと不安ですね(^^; 昨年は新大で年越ししましたが,今年は実家で何事もなく静かに2000年1月1日を迎えたいものです.

 

#だから,ノドンやテポドンの誤射は絶対するんじゃないよ>北朝鮮(ぉぃ


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