「バス」

作:思希久恭さん



     case.01 : 日向香奈 −ひむかい かな−

 いつもならこの時間に乗ればいいのよね。学校に行くだけなら。でも今日はそう言うわけには行かない。次のバスに乗っていわなきゃ。いわなきゃ、なんとしても。

…14日、空いてますか?

この一言が頭の中を占めてから私の中の体内時計はフル回転を始めた。日頃使いもしない頭をぐるぐる回して考えて、寝る間も惜しんで計画を立てた。我ながらすごいもんだと思ったもの。こんなに頭使ったのっていつ以来かしらね。

 そして計画実行の日の朝が訪れた。事前調査はばっちり。どこで降りるのか、どこに行っているのか、しっかりと調べたもんね(学校さぼったけどそんな些細なことには私の信念を曲げることは出来ないわ)。
 向こうからバスが来る。と共に私の心臓の鼓動も早くなる。ピアニッシモ、ピアノ、メゾピアノ、メゾフォルテ…あの人に会える…フォルテ…そして乗り込む…あの人の顔を見る…フォルテッシモ。これ以上ないほどの緊張感。降りるまでの時間が永遠に感じられた。

プシュッ…
降りる場所に着きドアが開く。そして人の流れに乗って外へと降りていく。バスは止まったが私の計画はここから動き出す。

勇気を出して…

 先に降りた私はある程度のところまで進んで立ち止まる。あの人はこの道をまっすぐにいった先にある大学に通っている。だから、それまでに事を終わらせるのだ。

来た…

 心臓が痛いくらいに打ち、顔は火でも放ちそうなほど熱い。真っ赤もいいとこ真っ赤だろう。頑張らなきゃ…でも怖いよぉ…どうしよう…ダメだったら…彼女がいたら…無視されたら…冷たくあしらわれたら…もう目の前に彼は来てる。覚悟を、決めなきゃ。

 深呼吸。一瞬、時がとまる。
 そして、顔を上げる。
 目を合わせる。
 微笑みを浮かべて、思いの丈を言葉にして紡ぎ出す。

あ…あの…14日空いてませんか? 
もしよかったら…あの…あた…あたしと一緒に…
過ごして…もらえないでしょうか?

 言い切った。言い切れた。言うことが出来た。鼓動はクレッシェンドがかかり、もうパンク寸前。まともに目も見られない。時間の流れがとまってる気がするくらい遅く流れる。鼓動と時間が反比例してる。

…でも、目はそらせない…

顔はひきつってる。微笑むのにこれだけ苦労したことはないくらい辛い。体中ふるえがとまらない。のどはからから。まともに立っていられないくらい体中のあらゆる器官が悲鳴を上げてる。

 一瞬ひるんだような、そして唐突のことに面食らった表情で私を見る彼。そして数秒(私には数時間)の時が発ち、彼の唇が上下に開く。

喜んで…

 その日、学校をさぼったことはいうまでもない。雨は降ってなかったけど、たとえ降っててもきっと傘なんかささずに町中を歩き回ったろうな。鼻歌なんか歌いながらさ。singin' in the rainなんてね。



   case.02 : 新井隆雄 −あらい たかお−

 憂鬱な日が今年もまたやってこようとしている。ただ、今年は運良く日曜なので、家の中にいれば辛い光景を目にすることはないだろう。まったく、毎年毎年皆さんご苦労様だよ。チョコレート会社は大変だろうな。まぁ、生産工場だけが忙しいんだろうけど、キャンペーンなんか打ってるだろうからその成功がその人の成績に…やめた。くだらんことを考えるのはよそう。

 バスが来て、学校に向けて乗り込むと女子高生が楽しそうに外を見てる。どうせ日曜日に彼と何して過ごそうとか考えてるんだろうな。畜生、なんだか自分がもの凄く情けなくなってきた。気にしまいと思っても気になる物は気になるもんだ。それが男のサガというものなんだろうな。ああ、むなしい。今日も学校に行って適当に講義聴いて時間だけが経っていくんだろう。本でも持ってくるべきだったかな…いいか、別に。あ、でも寝てるとうるせーんだよな、あの教授。そう言うことだけチェックしてんだよな、他のことやっ てても怒らないクセにさ。

 しっかし女子高生がこの時間に何してんだ? 学校はとっくに始まってないのか? まったく近頃の女子高生ときたらいかんなぁ…と、俺が言うのもおかしいか。まともに講義受ける気もないんだから。

ん…なんだ、こっち向いて笑ってんぞ。誰に向かって笑ってんだ?


…もしかして…俺か? まさかなぁ…


あ…あの…14日空いてませんか?
もしよかったら…あの…あた…あたしと一緒に…
過ごして…もらえないでしょうか?


 思考が一瞬とまる。何だ、今、この子なんて言ったんだ? 14日? 明日か。空いてるかって? あたりまえだろ、畜生…

 しかしあまりのことに虚を突かれたが、これってすごい事じゃないか? この俺がお誘いを受けてるなんてことがあるなんて、この先きっと2度と無いんじゃないか? すごいことが目の前で繰り広げられてるぞ。ゲームや小説じゃない。現実で起こってる紛れもない「現実」だ。これを逃がすのはバカのすることだ。

奇蹟ってあるもんだな…


喜んで…


 日曜日はどうやら家にいなくてもいいらしい。この奇蹟に感謝して今日はまじめに講義を受けてみようか。神に感謝の意を込めて…いや、ガラでもないからやめとこう。これ以上非日常的事態を起こすのはよくない。

…でもなぁ…

 日頃は鬱陶しいくらい長く感じるこの道が初めて短く感じられた。


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