「卒業」

作:思希久恭さん


     雨の日曜日。憂鬱な午後。空を見上げてため息一つ。はぁ。雨と一緒に
    落ちていく虚しさ二つ。つまんないの。雨なんかふってちゃ何にもできな
    いじゃないのよ。

    …え〜、だって今日雨じゃん!
  
    …濡れるのやだ〜!

    …ゴメン、今日約束が入ってるんだ…

     友人というのは実に薄情なものである。はぁ。

    …仕方ない、あいつにでもかけてみるか…

    いや、待てよ。こっちからかけるのもなんだか情けない女のようでいやだ
    なぁ。わざわざ「ヒマしてま〜す」って言ってまわるようだし(現にまわ
    ってたけど)。
    
    ……………

     つまらないプライドのせいで一日が終わっていった。陽と一緒にあたし
    の心も沈みきった。とほほ。な〜にしてんだか。せっかくの日曜日にどこ
    にも行けず、うちでごろごろして暮らす。たまにはいいだろうけど、こう
    も続くといやんなっちゃう。いったいこの退屈は誰のせいだ!(注:誰の
    せいでもない)

    「こら! なんで電話の一本もかけてこないんだ!」
    「そんなこと言ってもしょうがないだろうが! こっちだって色々とだな
     ぁ…」
    「だまらっしゃい! 電話の一本もかけられないほどの忙しさがどこにあ
     るってのよ?」
    「どこ…って、この会社内のこの部署のこのオレのところ」
    「………」     
     呆れてものも言えないわ。
    「どうした?」
    「あんただけ不況じゃなくってよござんしたね! ふんっだ!」
     スタスタスタ…
    「なんだ、いったい…まったく、誰のせいでこんなに苦労してると思って
     るんだか…ま、確かに電話の一本くらいかけてやった方がよかったかも
     な」
     
     バカな男、バカな男、バカな男…そんな男に期待したあたしはバカな女
     …よね…
     仕事中なのに涙が出た。相当自分の中で感情的に“きてる”部分がある
     みたいだ。別に周りの友人が相次いで結婚していったことが原因じゃな
     いとは思ってた。思ってた。思ってた、のに。悔しさは知らないところ
     でチリのように積もっていたみたいだ。じゃぁ、あたしは友人への見栄
     や虚勢のために結婚したいんだろうか? そんなのははっきりいって哀
     しすぎる。

     …人間の感情がそんな理性や意識で完璧に抑制出来るわけはないのだ。    

    「あたしはね、悔しいのよ。ええ、そうよ、悔しいのよ。わかる、この気
     持ちが? 周りの友人の幸せばかりを目の当たりにし続けて、今までこ
     んなにも友人に尽くしてきたようなこのあたしがどうしてこんなにもツ
     ライ思いをしなきゃいけないわけ? あたしはこういう運命の元に生ま
     れてきたとでもいうの? ねぇ、何とか言いなさいよ、こら! 聴いて
     んのか! お前だよ、お前! 目の前にいる付き合って今年で6年を迎
     えるお前さんだよ!」

     …もうダメだ…とまんない…ゴメンね、勝手に言いがかりをつけて怒鳴
     ったりして…でも、もうダメ。限界…

    「なんで何も言わないのよ! 何とか言ったらどうなのよ!」
     …ゴメン、ゴメンね…

    「これじゃあたしがあんたを一方的にいじめてるみたいじゃないのよ!
     あんたそれでいいの?」
     …なにを言ってるんだろう、あたしは…

    「ねぇ、何で何も言わないの? どうして黙ったままなの?」
     …そう、どうしてあなたは何も言わずにいるの? お願いだからホント
     のことを聴かせてよ…
 
    「わかった! あんたはあたしのことをホントは好きじゃなくなったんだ!
     他に女が出来たからもう他人事なのよね! そうなんでしょ! いいわよ
     ね、自分だけ幸せになっちゃってさ…あたしっていう安全パイを残してお
     いてギャンブルするなんて、ずいぶんあたしも軽く見られたもんよね…で、
     相手はどこのどいつ? 経理の子? それとも同じ部署の子? あ、もし
     かして大学の時のサークルにいたあの女? 白状しなさいよ! そうなん
     でしょ! ねぇ、そ…」

     パシッ…

    「たとえ酔った上での会話だとしても…そんなことを言うな…そんな哀しい
     ことは…絶対に…」
    
     …なに? あたし、叩かれた? 叩かれたの? そう、そうよね、当然よ
     ね、ひどいこと言ったんだもんね…当然の報いかもね…でも…

    「オレがどんな気持ちでお前の言葉を聞いてたかそんなに知りたいのか? 
     だったら教えてやる。オレはな、お前の言葉一言一言を聴きながらお前に
     なんて謝ろうか、それだけをずっと考えてたんだよ…知らないうちにずい
     ぶんお前のことを追いつめてきてたのは薄々感じてたからな。お前の言葉
     一言一言がホントにキツかったよ。お前が言ってくる文句一言一言がオレ
     のお前にしてきた仕打ちだったんだと思ったら何も言えなかった…」
 
     ………

    「もう何も言うな。何も言わなくていいんだ…これ以上、お互いつらくなる
     必要はないんだ…」

     ………

    「ずいぶん長いこと待たせたな…」       

     ………

    「見栄のためじゃなく、虚勢のためじゃなく、お前自身の幸せのために、結
     婚しよう。他の誰のためじゃない、お前のために、お前の幸せのために」
   
     …出来過ぎてる言葉だとは頭で感じてても、心の中は嵐の後の静けさのよ
    うな穏やかさが、そして暖かさが滲んでく。
   
    「オレだって今までの償いのためにそうするなんて思っちゃいない。本心は
     もっとずっと前からこうなることを願って、夢見て、憧れてた。タイミン
     グは悪かったがな…すまない、しょうのない男で…」

     …謝られると余計にこっちが惨めになる気がする。ホントに情けないのは
    あたしの方…  

    「ありがとう…こんな…つまらないあたしのために…そこまで…思ってくれ
     て…」

     そう、人間の感情が理性や意識で完璧に抑制出来るわけはないのだ。あふ
    れて来る涙はまったく私の命令を聞かず、私に一言も口をきかせることなく
    流れ続けた。そう、一言、一言も言えないくらい、私は泣いた。こんなに泣
    いたのはいったいいつ以来のことだろう。まるで生まれたての赤ん坊のよう
    だ。唯一の感情表現が「泣くこと」である、赤ん坊。大きな手のひらに包ま
    れて、人の温かさを知る赤ん坊。

     永遠とも思えるような長い時間の後でようやく言えた一言は、涙と鼻水と
    笑顔でぐしゃぐしゃになった顔で言えた一言。

    「ホントに…長かったんだからね…」





          雨の日曜日。憂鬱な午後。空を見上げてため息一つ。はぁ。雨と一緒に
    落ちていく虚しさ二つ。つまんないの。雨なんかふってちゃ何にもできな
    いじゃないのよ。
        
        …え〜、だって今日雨じゃん!
  
    …濡れるのやだ〜!

    …ゴメン、今日約束が入ってるんだ…

     友人というのは実に薄情なものである。はぁ。

     その時、電話が鳴った。元気よく、心地よく耳に響く。
     相手はわかってる。今までのんびりだったクセに最近ずいぶんせっかち
    になったあいつからだ。おっと、言い方をそろそろ変えた方がいいかな?
    あの人からだ。  

     今までの長い長い孤独からの「卒業」。
     明日新しいお陽様が昇ったら、私はお陽様とそれに続いて始まる一日と
    一緒に「新しい私」になるんだ。


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