北国紀行3 その9 あきたの国編・前編

象潟橋からの鳥海山

 私が象潟に行ったとき,こんなふうに曇っていて鳥海山は見られなかったのですが,アルファにはせっかくあきたの国まで行ったので鳥海山を見せてあげたいなと思ってカキカキ.写真だと当日の天候に左右されますが,絵だとこんなこともできるのでいいですね(^^ ちなみに,象潟は鳥海山の噴火で流れ下った土石流や噴出物で海が埋め立てられてできた景色.松尾芭蕉が象潟を訪ねた頃は,「東の松島,西の象潟」と言われたように,入り江の中に小さい島々がたくさん浮かんでいる風景が橋の上から見られたはずです.その後1804年の象潟地震で土地が2mも隆起して入り江が陸地になってしまったんですよね.で,藩が島を崩して全部田んぼにしちゃおうという計画があったけど,この次に出てくる蚶満寺のお坊さんが保存運動をして景観を残して今に至っているというわけです.
 余談ですが,私が鳥海山をまともに見れたのは1回だけ,1998年の夏の話です.仕事で行った北海道からフェリーで戻ってくる途中見えたのを覚えています.独立峰で海の上からでも目立つので昔船乗りが目印にしていたのがよく分かりました.

象潟・蚶満寺

 背景は蚶満寺の山門.芭蕉の句にちなんで,西施さんも着ていただろう古代中国女性コスをアルファにさせてみましたw 
 西施:中国の有名な美女.王昭君・貂蝉・楊貴妃を合わせて中国古代四大美女と言われる.越王勾践が呉王夫差に復讐のための策謀として献上した美女たちの中に西施や鄭旦などがいた.策略は見事にはまり夫差は彼女らに夢中になり,呉国は弱体化しついに越に滅ぼされることになる.(wikipediaの記事から要約) まさに”傾国の美女”ってことになるが,胸の病を患っていた西施の憂いに満ちた表情が当時の人々には胸きゅんだったんだろうねw
 芭蕉が蚶満寺を訪れたときは,雨でねむの花もうつむいていたのだろう.雨に煙る象潟の美しさと,ねむの花と西施を重ね合わせた句ということか.

稲穂の海に浮かぶ島々@象潟

 左からつつじ島,伊勢鉢島,能因島.撮影日:2011/10/08

象潟パノラマ

 最後に高台に上がって見下ろしてみました.田んぼの中のあちこちにある小さい丘が昔は島だったところ.
 ちなみに,10/8の私はアルファと逆順で回りました.つまり,(郷土資料館→)この高台→能因島→蚶満寺→象潟橋(→芭蕉が通った道)

クマゲラ

 一度やってみたかったんだw 秋田と青森の県境にある白神山地にクマゲラがいるみたいね.白神山地は今回は寄らなかったけど,いつか行ってみたいですね.
 JR東日本の臨時快速列車に「リゾートしらかみ」があるけど,その1つにくまげら編成がある.結構おしゃれw

久保田城御隅櫓

 久保田城は,羽後国秋田郡久保田(現在の秋田県秋田市千秋公園近辺)にあった城である(wikipediaより).平山城で,天守閣は無いが,復元した御隅櫓が建っている.
 久保田城を訪ねたのは,関ヶ原の戦い後,常陸国から秋田に転封されこの城と城下町を造った佐竹氏の家臣を描いた岩明均の「雪の峠」を読んで興味を持ったから.
 なお「秋田城」は古代に出羽国府が置かれた城柵で別な場所にあるので注意.

北風小僧?@八郎潟

 昔描いた”飛びアルちゃん”の背景変えただけですが.
 秋田から奥羽本線に乗って北上していると,左手にだだっぴろい平地と細長い水路が見えてきます.これが八郎潟干拓地ですが,もし八郎潟駅が無かったら気づかないで通過してしまってるかも… 遠くに見える山は男鹿半島の寒風山.あ,そういえば男鹿半島にも行ってないや.なまはげに怒られる(汗

きりたんぽ

 あきたの国編前編の最後は大館できりたんぽ.アルファが食べようとしている鍋にはもちろん肉は入ってませんよw
 それにしても・・・動物性タンパク質が苦手なアルファは,せっかく旅をしているのに食を満喫できなくて気の毒である.例えば,これは新潟の観光キャンペーンのロゴだけど,コシヒカリとへぎそばと日本酒と十全なす以外は全部動物性タンパク質だw

その10へ続く