Update 2003.2.9 |
|
|
|
氷川丸
氷川丸は昭和5年に三菱横浜造船所で竣工してシアトル航路に就航,昭和7年にチャップリン,昭和12年には秩父宮ご夫妻が乗船されるなど様々な乗客を乗せてきました.昭和16年8月にシアトル航路は休止したあと,海軍の病院船として徴用,その後5年間南方で活躍. 終戦後は復員・引揚者輸送に尽力しました.そして昭和28年に再び貨客船としてシアトル航路に復帰し,日米の学生の他,昭和34年には宝塚歌劇団が乗船するなど活躍.昭和35年に引退,戦前戦後を通じ,北太平洋を238回横断,25,000人もの人々の船旅を支えました.翌36年に開港100年を迎えた横浜港の山下公園に係留されて今に至っています.
中学生の頃「氷川丸物語」(というタイトルだったかな?)を読んだことがあって,太平洋戦争を生き延びた唯一の客船として記憶に残っていたので,いつか行ってみたいとは思っていましたが,こうしてそばで見るとやはり大きいですね(^^)
中を見ている間に周りは真っ暗になっていました(上の「入り口はどこかなあ?」と同じ場所で撮影).18時を過ぎていたから当然ですが,最後に夜景を撮って宿に向かうことにしました. 宿は横浜スタジアムのそばなのですが,大きな通りから引っ込んだ所にあったので思い切り迷いました. たどりついたときには,宿の近くを2度通り過ぎていました(^^;
中華街
お腹が減っていたのでコンビニで夕食を買ってこようかと思いましたが,宿が中華街の近くだったので,せっかくだから中華街に繰り出すことにしました. 2/1が旧正月(春節)だったせいもあって,とてもにぎやかでした. 甘栗を売っているかけ声があちこちで聞こえました.
気を取り直してもう1度チャレンジ! 結局夕食はちょっとひっこんだ通りの安い食堂で済ませました(^^; その後,中華街といえば関帝廟があったなあ,と思ってお詣りしてきました. 宿の近くのインターネットカフェでネットにつないで,翌日の晴天社駅駅長さんとの会合が大丈夫か確認して宿に戻りました,その晩はすぐ寝たのですが,眠れなかったので天気予報を見ようかとTVのスイッチを入れたら,スペースシャトル・コロンビア空中分解事故の第一報が入ってきて,結局2時ぐらいまで事故の続報を見てしまって,すっきりしない一晩になりました.
(追記)
|
|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |